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甘い生活・3



彼女がフロアに戻ると、彼女の居た席、つまり隆木の隣に、例の危なげな銀色アタマ青年が

座っていた――ばかりではなかった。

「おじさん、インテリ・ヤクザってやつだろ?」

チヨコは、思わず凝然と立ちつくした。

「良い男だし、頭も切れそで。でも俺、ヤクザは嫌いなんだ」

「ちょっと、あんた何言ってんのよ!」

固まった瞬間からようやく逃れると、チヨコは血相を変えて駆けつけた。

男二人が観音開きの扉のように、チヨコの方に体を向ける。

「済みません隆木さん、お気を悪くなさらないでください! あの、この子、ちょっと

 ヘンみたいなんですよ……悪気は無いと思うんですけど……」

「いえ、別に気を悪くなどしていませんよ」

隆木はずっと無表情だったが、彼女には穏やかな笑みを見せた。

「するわけないよ、だってホントのことだもん。ねぇ、カタギさん?」

「タカギさん、よ!」

性懲りもなく平然とのたまう新顔の店員・玲都に、チヨコは更に湯気を出しそうな勢いで

噛みついたが、不意に鳴った微かな電子音に、その場が一時静止した。

「……ちょっと、失礼いたします」

そう言うと隆木が、背広の内ポケットから携帯電話を取り出した。

「ああ、どうした」

不思議なもので、隆木の電話中はチヨコも玲都も、まるでそれを見守るかのように、

静かにしていた。

「……瀬賀さん、残念ですが今日はもう、失礼させていただかなければなりません」

会話が終わって、携帯電話をまた折りたたんでしまうと、隆木はチヨコに言った。

「出入りですか、親分」

「あんたは黙ってなさい! あ……隆木さん、あの、本当に今日のことは……」

困惑顔でオロオロするチヨコに、隆木はふっと微笑んで、

「大げさですよ瀬賀さん。私は全く気にしていませんから。では……」

見送りにと、席を立った彼に歩み寄ったチヨコだったが、「ここで結構ですよ」と軽く彼に言われ、

再び立ちつくしてしまった。

「気にすること無いよ、チヨコさん。 あれは表で子分が待ってるのを見られたくなかったんだな、

 きっと」

ジンジンと頭にしみるような余韻が平坦な言葉でぶった切られ、チヨコの背筋に殺気が走った。

「……あんた」

くるりと振り返った時にも、彼は平然と彼女の居た席に座ったまま。店員でありながら、

誰よりも高貴な座に位置しているかのような態度。その一つひとつが、チヨコの額に

一つひとつ、青筋を立てていった。

「玲都とか言ったわね。お客様にあの態度は何なの? あんた、雇われたばっかりの身で、

 店を潰す気……!?」

「大袈裟でしょチヨコさ〜ん……って、さっきあのおじさんも言ってたじゃない」

「だからアンタの言うこっちゃないのよ!」

「でもチヨコさん、知ってたんだ。――あの人がヤクザだってこと」

それを言われると、チヨコはグッと黙った。言葉を失ったまま、目線だけが繋がる。

チヨコの鋭い眼が玲都に向けられるが、彼の偉そうにとぼけた態度が、それを全く無力な

もののように受け流してしまう。その現象に気付き、チヨコはすっかり戦意喪失。

深く、深く溜息をつくと、もう何を言う気も起こらないというようにスッと背を向け、その場を去った。



「……ちょっと店長」

それでも、どうしても愚痴らずにはいられずに、店長を捕まえた。

「何なのチヨちゃん、さっきから」

店長は、楽屋裏のテーブルの所に座っていたが、首根っこを捕まえられた猫のような形相で

ビクッとすると、おちおち休んでもいられないというように、煙草を灰皿に押しつけた。

「どうもこうもないわよ、やっぱりあのガキ、問題アリだってば!」

「まあ落ち着いて……チヨちゃんらしくないわよ、そんな目ぇ吊り上げちゃって」

それでもチヨコは、そのまま店長にまくし立てた。店長も、こうなったら宥めてもラチはあかない、

スッキリするまで喋らせようと思ったか、半ば諦め顔で彼女の言うことを聞いていた。

「……おかしいねぇ、そんな失礼なことするような子じゃないと思うんだけど」

「思うかどうかじゃなくって、実際にそういうことをするのよ!」

「でも、今までは本当に、そんな素振りを見せることはなかったのよ? 少なくとも

 この一週間……。確かに、わざと生意気な態度見せたりとかいうことは有っても、

 ジャレ付き程度のことで。あ……そうか、分かった」

不意に、合点がいったように店長が手を打ったので、チヨコは眉をひそめた。

「なに?」

「あの子、チヨちゃんのファンだから、隆木氏に妬いたのよ」

「……はぁ?」

「きっとそうだって。可愛いもんじゃないの」

今度はチヨコの方で、もうコイツぁラチがあかないと、見切りを付けた。

「……あたし、帰るわ」

「まぁ、そんなに気にしないでチヨちゃん。隆木さんなら大丈夫よ、出来た人だし。

 玲都には一応、ちゃんと言っておくし」

どいつもこいつもこの調子だよ、とチヨコは心中ボヤいた。

「あーもう、クサクサしてたまんないから、どっかで飲んで帰ろ」

「そうなさいな。じゃ、また金曜によろしくね」

全然スッキリはしていないのだが、他にマトモに取り合ってくれる人物にアテがあるわけでも

ないので諦めて、引き上げることにした。こうなったら後はもう、飲んで飲んで飲みまくって、

気を紛らわすしかない。

そしてまさにその通り、その夜のチヨコは、ベロンベロンに酔っぱらった。


「うー……回るよグルグル……」

ド深夜のマンションは静まり返り、チヨコの タン、タタン、タ、タタン という、調子っぱずれの

パンプスの靴音だけが響いていた。彼女はエレベーターから降りるにも一呼吸を置いて、

ろれつの回らない口のような足取りのまま、ようやく自分の部屋のドアの前までたどりついた。

暗証番号キーなので、ゆっくりとボタンを押したら、一度で開いた。そうして、なだれ込むように

玄関に体を押し込み、パンプスをスポンと足からすっ飛ばし、リビングのソファー目指して突進、

そこに崩れた。ぷふぅー……っと、うつぶせの唇から溜息がこぼれた。

頭は全く回転していなかったが、ボンヤリと喉の渇きを覚えていた。


「――はい、お水」

ダラリと垂らした手にグラスを握らされ、チヨコはゆっくり、それに口を付けた。カラ……と、

ロックアイスが鳴るのも涼しく、どよーんとしていた思考が、少しずつクリアーになっていくのが

感じられた。が、それにつれて正常な思考能力も回復し、チヨコはハッと目を開けた。

目の前には、誰も居ない。と、グイっと首を上にひねると、彼女の横たわるソファーの背に

手をついている銀色アタマに出くわし、チヨコは思わず息が止まった。

「あっ……あっ、あんた一体何処から!」

ダンッとグラスをテーブルに置くと、チヨコはズリズリとソファーの上を後ずさった。

「さっきチヨコさんと一緒に入ってきたんだけど、気付かなかったの?」

「知らないわよ、なんっ……で、出てって! ひとんちに勝手に入ってこないでよ!」

「……チヨコさんって、自意識過剰の処女みたいな反応するんだね」

「フツーの反応よ!」

呆れたような玲都の言い方に、いきり立ったチヨコだったが、突然血圧を上げたせいか、

クラッときては再びゲロゲロな気分になり、うっと肘掛けにもたれかかった。



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